
はじめてAという名の女に会ったとき、
なんとはなしに「熱海湯の階段」に連れて行きたいと思った。
利害関係なしに屈託なく笑うさまがいいと思った。
ある日神楽坂に行きませんか、と誘ったら
「そんな場所は知りません」と言う。
でもすぐさま彼女が私につぶやいたのは
「アグネスホテルのBarにいきたいなあ」
確信犯である。
Aとアグネスに行くときは必ず
「熱海湯の階段」を通るようにしていた。
あの情緒あふるる石段を下りながら、私はAの横顔をみつめた。

かれこれ7回あの石段を往復し、
8回目の行きの道のりで一緒になってもいいかなと思ったのもつかの間、
その日に入ったトキオカで
むこうは 「一緒にならない」という結論を提案してきた。

女性特有の思い付きとその場の感情にまかせての話ではないのは
わかったが
Aはいつも本心をニ度目に言うのだった。
神楽坂に誘ったあのときも。
「今は一緒にならなくても
あと5年もたてば同じ家で暮らしていると思うけど」
私がそうなだめるように言うと
彼女は目を伏せてまばたきを2、3し少しの沈黙の後、
「どうしてもそうしたいならいいけど」と不満げに口を開いた。
その後すぐグラスを空にし、
「じゃあ仕方ないから結婚してあげます」と
顔をくしゃくしゃにして屈託なく笑っていた。
あれはカマをかけられたのかもしれないなあとも思ったが、
あの日から2日後、
彼女から「私のことをわかってくれてありがとう」と
ただ一文書かれた葉書が届き、
私は今、郵便受けの前でふふふふと笑っている。

了
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「熱海湯の階段」は「別亭鳥茶屋」さんの前にある
石段のことです。
「熱海湯」という銭湯のすぐそばにあることから
そう呼ばれているそうです。
★別亭鳥茶屋
http://www.bolanet.ne.jp/torijaya/bettei.html
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★このブログ内の記事「袖摺坂@神楽坂」
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